だいぶ年末が近くなってきましたpart2

どんどん年末に向けてのお笑いネタを披露したいところなのですが・・・

いかんせん仕事と全然関係ない仕事(?)で忙しくてですね(汗)

なかなかブログがはかどりません。

それでも、次回のブログには最近はまっていることに関してなのですが・・・・

何にハマっているかというとですねえ・・・

こんなことや

こ〜んなyoutubeにハマっております。

深夜の時間帯は毎日これを見ておりまして・・・

私、自分で言うのもなんですが・・・

結構心臓に毛が生えてるなと。

そう思いつつ、

この動画集も惹かれるけど・・・

こ〜んな動画集も見ていると、結構何者かに引かれます。

それはいいとして・・・

今回は全然別で真面目なお話。

ピアノを習っている人は誰でも自分が上手くなりたいと思うでしょう。

だから習うわけです。

しかし、そこに時としてこの世界で「甘え」が見える時があります。

厳しい言い方ですが(汗)

しかし、ピアノは他の習い事とは雲泥でして・・・結構難しい。

しかも、レベルが上がれば上がるほど難しくなる。

何が難しくなるかって・・・

それは当事者でないとわからないでしょう。

そういう苦しい状況の時は誰でも「褒められたい」とか「認められたい」という感情があるでしょう。

それは当然です。

しかし、おかしなことですが、そういう感情を持てば持つほどピアノは残念ながら上達しなくなる。

本当に残念ながら、これが現実です。

だからピアノの世界は上級になればなるほど厳しい。

例えばですよ・・・

1曲を暗譜で弾くって、本当に大変です。

暗譜で弾けなかったらいつまでも、先生から「認められない」こともあるでしょう。

ラベルの作品やら、ラフマニノフの作品やら、それを暗譜で弾くのは確かに大変です。

そして・・・どこで自分で線を引っ張るか?

ここまで自分はできればいいんだ。だからこれでいい。暗譜できなくてもいいし、先生も「ここまで弾ければ暗譜してなくてもいいですよ。よく弾けていますし」と言ってくれるし・・・。

そこで満足したら・・・そこで成長は、おしまいなんです。

1曲を完全に暗譜したら、その後、どれだけの収穫が本人にあるか?

これはもう暗譜した人だけでしかわからない。

暗譜だけじゃないですよ。

最近私は仕事以外の雑多な用で忙しくて、まともにピアノが練習できません。

一体いつまでこんなことが続くのか?・・・と、時々ぶつけようのない絶望感と苛立ちを覚える時がありますが・・・。

そんな中、1曲をなんとか仕上げてきました。

この曲ですが・・・

テクニック的には正直、ブルグミューラーレベルかな?(笑)

ですが・・・じゃあ子供が弾けるかって・・・無理です(笑)。

自分でさえもどうやって弾いてもこのモイセイビッチの演奏に近づけません。

一応弾けはする。でも何かが足りない。つまらない。魅力がない。

そんな時に・・・仮に自分の先生から「いや十分うまく弾けていますよ。素晴らしいじゃないですか!モイセイビッチみたいですねえ!」

と・・・言われて、果たして自分が納得するか?

もちろんそこで喜んで納得したら・・・というよりそれはそれで悪くはないですよ。

何が正しい、悪いはこの世界ないですから。

なんのためにピアノを習っているのか?

うまくなりたいからなのか?それとも苦しい自分から解放されて認められたいからなのか?

・・・私はその後、今度は自分の演奏を何度も録音しながら研究をして・・・

そして・・・ようやく一つわかりました。

変な言い方ですが・・・どうやったら人間を満足させられる、感動させられるツボがあるのか?

そこには人の生・感性という、機械やパソコンではない感情に左右される要素がありました。

だから人間という生き物は難しくて厄介ですが・・・機械では推し量れない素晴らしい感性の持ち主なんです。

人間の感性はスパコンでさえも追いつかない難しい世界です。

多分千年後も同じでしょう。

新重量奏法の音色動画でまたその辺りは追い追い紹介していきますが・・・

話を戻しますが、私は諦めずに挑戦していて良かったと思いますよ。

途中で誰かに「もう十分うまいですよ」なんて言われなくて良かったです。

中途半端な褒め言葉なんて私はいらない。

真実と自分が納得する演奏だけが欲しいです。

そこには褒めるとか、認められるとか・・・そういう言葉はありません。

練習中にどこかの霊体から「十分うまいから恨めしい〜」と言われてもわたしはたじろぎません。

・・・いや・・・嘘ですが(怖)。