シリーズ〜私をこの世界に連れ込んだ(?)先生達〜4(謀反)

当時、先生に弟子入りということは、その先生が気にいったのだから、先生がどこぞの大学の先生ならば、その大学に入るのが常識だった。
しかし、私自身は自分の意思ではなく、親の意思だったので、私自身は決して気に入っていたわけではなく•••。
といったところで、常識的には私は教授の大学に行くはずだった。
しかし、私は•••教授の音楽性が自分に合わず•••
まあ親にもその辺りを説明して、なんとか説得したわけです。
もちろん親は反対したのですが•••
なんたって常日頃から教授は私に言っていました。
「あなたが私の大学に入って真面目に勉強してくれたら必ず教員のイスを用意してあげるわ」
ちょっとすごい話ですが、確かに当時、そういうことはよくありました。
事実、教授の愛弟子たちは確かに大学講師やら、准教授やら、そういう地位についていました。
•••そういう時代だったんですよ•••。
しかし、そういうことに興味がないばかりの私はあろうことか!教授の予想に反して、勝手に他大学を受けてしまったわけです。
いわば”謀反”といっても過言ではありません。
弟子たるもの、通常は師匠の大学に入るでしょうに、あろうことに完全に門下を出ていくわけですから。

•••しかし•••私が謀反を起こした理由っていうのはですねえ•••
•••音楽性が合わないのではなく•••そのうっ•••その辺りのご説明を•••。

当時、私が教授宅のレッスンに入っていた時です。
中で教授がある生徒に、ものすごい剣幕で怒鳴り立てていました。
あんなに起こった教授は見たことがない。
相手は確か学年で1〜2位を争う優秀な愛弟子でした。
教授は大学内ではいろいろと派閥争いで神経質になっており、その中でも自分の弟子が学年でトップを取るか否かは非常に地位を左右する内容でした。
そんな中で教授が生徒に怒っていたのは、まあ多分試験内容かな?•••と思いきや•••
「まあなんてハレンチなことしてくれたの?あなた、学生の身分で管楽器の男と同棲って、どういうこと?あなたの親に顔が立てられないわよ。今すぐここで親に電話して謝りなさい!男とも別れることよ!」
•••うへー•••( ;´Д`)
当然のことながら、学生の姉ちゃんはなんとかかんとか、反論をしていましたが、教授はそれをピシャリ!と封じて
「しばらくの間実家に帰って謹慎してなさい!。試験の時期になったら上京しなさい!」
•••と、言っていつものごとく、レッスンの合間の休憩室に戻ってお茶を飲み始めてしまった。
私はというと•••その修羅場にて、その姉ちゃんと顔を合わせ、うーん、立場上どういう顔をしたらいいのやら•••
•••うーんしかし、当時高校2年生という思春期ということもあり、まだ当時は●貞ということもあり•••一人勝手に
•••ハァーハァーハァー•••
と、興奮していたことを思い出します。
•••と、その時、私はあることを想定したわけです。
•••まてよ•••。私も教授の大学に入れば、今回の生徒のように、四六時中監視されるわけだ。
俺だって大学に入ったら彼女の一人や二人や30人や40人と、付き合ってみたいものだが、このままじゃ俺は大学生活をエンジョイできないじゃないか!
うーん、大学教授のイスと3〜40人の彼女。
•••どちらを取るかといえば•••

きまってまんがな。

•••もちろん、その目論見は他大学であるM大に入ったにもかかわらず、とうとう4年間彼女ができなかった、という、准教授のイスも、彼女も逃すという苦い結果となりました(いや両方とも無理だったと思いますがね)

ただまあ•••私が他大学に入ってしまったということは、教授にとっては相当ショックだったようでした。
最後に教授に謝罪の電話を入れた時を思い出します。
めちゃくちゃ怒られるかと思いきや、教授はすごく悲しそうな声で「お一人でおやんなさい!」と言ってがちゃんと電話を切ってしまいました。
しかし、当時私にとってはこれしか方法がなかったのです。
とにかく、あらゆることでがんじがらめでした。
弟子入りするということは当時はそういうことだったのです。
彼女とか、そういうことだけではなく、髪型から服装から、交友関係、そしてもちろん、学習レパートリや、音楽性まで•••。
私はそういうすべてのことに非常に窮屈感を持っていました。
多分あの時、私と教授の間柄は母と子だったと思います。
なんとかして、自分の母教授から逃れたい。
そういう気持ちがとても強かった。
親離れの時期だったんだと思います。
しかし、今となってみれば、自分の愛弟子が自分から去っていく事の悲しみはよくわかります。
決して悪い先生ではなかったし、私をよく可愛がってくれた事は間違いありません。
私はその教授の思いを反故にしてまった。
今でもそれは仕方がなかったにしても、罪深く思う事はあります。
そして、私は教授の元を離れて、一人M大学に入ったわけです。