シリーズ〜私をこの世界に連れ込んだ(?)先生達〜2

親は一体何故私をこういう世界に誘いこんだのか?
母親はまあ、単純にピアノが好きだったんだと思います。
私が小さい頃は「あなたは音大を出て、その後、海外に留学して青い目をした女の子と一緒に帰ってくるのよ」とよく言っていた(笑)。
対して父親はどういうわけか「お前は教授になるか、弁護士になれ」と何故かよく言っていました。
教授と弁護士、っちゅうのはどういう因果関係かはよくわかりません(笑)。
まあ単純に、人に頭を下げられる身分になれということなのでしょうか?
父親は今でも理解できないことは山ほどあるので、まあそれはいいとして•••。
ただ、母親の考えは海外から帰ってきたら•••その後のことは聞いていません。
プロとしてやっていけとは聞いていませんでした。
しかし、それは音大を卒業する頃になって、ここに書いてあるように、どういうわけか自宅から徒歩30秒の会社に入社せよ、という考えのようでした。
どちらにしても、親は変な考えの元、私を大学教授に通わせたようでした。
教授のレッスンは、正直厳しかったです。
おっかなかった、というより、要求がきびしかったというか•••。
内容も威厳的な内容で、音楽も威厳に満ちた音楽性を要求することばかりでした。
正直、私には合わなかった(汗)
私が地元で習っていた先生は(まあ今でもそうですが)多分若い頃はキャピキャピギャルだったんだと思います。
よく笑ってよく冗談を言う先生でしたが、それに対して、教授はちょっと雰囲気が違っていました。•••そりゃそうだわな•••。
これが世に言う教授なのか•••。
レッスンの曲はバッハ平均律にベートーベンソナタばっかり。

小学4年生に、平均律とベートーベンソナタですよ!(笑)。
正直つまらなかったです•••といってもまあ、音楽の基礎は習ったわけなので、一方的に良くないと判断はできないし、それ相応に感謝はしてはいますが•••。
実はある時期から、父親が日曜日も仕事で会社に行くことが度々あり、そんなわけで私は一人で電車に乗って東京にレッスンに通うことが多くなったのですが、週末は結構緊張しながら東京に通っていたことを思い出します。
緊張しながら東京に向かうのですが、レッスンが終わると、ドバッと緊張が解けて、気楽な気分で帰ったものですが、この時、レッスンが終わるといつも通っていたところがありました。
レッスンではいつも緊張しているので、帰る時には先生が「トイレは行かなくていいんですか?」と聞くのですが、とても緊張していて、トイレに行く気はしません。
いつも断って、教授宅を出たのですが、その後に、駅近くのボーリング場に入って、安堵しながら用を足していたのを思い出します。
•••と、用を足したあと•••トイレを出ると•••ボーリング場なので、そこには所狭しと、さまざまなゲームがありました。
当時は10円ゲームがいっぱいある時代だったので、母親に「帰りに喉が渇いたからファンタを飲みました」と毎回報告して(当時ファンタは70円だった。今でも覚えている)10円のゲームを7回やって、楽しんでいたのを思い出します。
毎回、帰ってきた時に交通費はチェックされるので、交通費+飲食代はきちんと報告しなければならなかったのです。
レッスンの後はゲーセンで7回ゲームをして帰る。
•••これが私の唯一のレッスン後の娯楽であり、緊張と快楽の狭間の世界でした(笑)。
しかし、ある時期から母親が「そんなに喉がかわくんだったら、水筒を持たせてあげましょう」ということになり•••
ああ•••(ー ー;)
当時、私はその教授に大学に入るまで習っていたわけですが•••私にとっては色々と疑問がありました。
そんなこと、言いたくないのですが、教授の音楽性は嫌いでした。
しかもその先生は自分からピアノは弾かなかった。
今だからこれは言えますが、これは絶対にいけない。
先生たるものは、生徒の前では模範演奏は絶対にしなければいけないと思っています。
もちろん、絶対いつも必要、とは限りませんが、先生が音楽を示すことによって生徒が気がつくことはいっぱいある。
うまく弾けなくても、ミスが多くてもいいから、弾かなければならない。
音楽というものは、音に表してなんぼの世界なのです。
たまたまこの先生だけなのかと思っていましたが、正直この世界、弾かない教授は実は大勢いるようです。
ただ•••それでも私はこの先生に感謝はしています。
私が中学生の時に悩んでピアノをやめた時には一生懸命引き留めましたし、辞めている間も何度も手紙を貰いました。
また、戻ってきた時の喜びようはすごかったし•••。
教授は立場とか、格式とかしきたりとか、また大学内での派閥争いとか•••そういうことにはうるさい人のようでしたが、私に対して「この世界に是非入ってきなさい」と最後まで誘ったおかげ(???)で今の自分がいるわけです。
もちろん、それが本当に良かったのか今でもでわかりませんが•••。
教授はもう既に他界しています。
色々あっても、今ではやはりこの教授には感謝せずにはいられないでしょう。   と、同時にこの世界はそうやって、受け継がれていくのでしょう。

それがいいかどうかはわかりませんが。