川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい
「1人で死ね」ではなく~川崎19人殺傷事件で当事者でない1人として言えることできること
もちろん、飛び降りとかで自殺を考えている人に対しては、周りの心の援助は必要だとは思うのですが、それとこの殺人事件はちょっと違う気がする。
電車で投身自殺はもちろん、遅延関係で迷惑をかけてはいますが、やっぱりそういう人はかわいそうでしかないです。
でもなあ・・・だからって人を殺めることはどういうことがあってもやってはならないでしょう。
なんか言い訳のような気がする。
最低限のマナーというか道徳はどんな時でも失っちゃそれ、単なる野獣か戦場の兵士でしかない。
誰だって、自分の社会での必要性って感じていないのでは?
だから必死にみんな自分が必要になれるよう頑張っているわけで。
それでもまあ、自分とかはやっぱり社会においては必要性は薄いわけで(笑)
だからって、ひねくれて人を殺すかなあ?
誰だって生きていて苦しいことはあるはず。
しかし、今の社会、いくら貧しくても生活保護がある限り、餓死して死ぬことはありません。
残った問題は心の問題であって・・・。
誰だって他人は羨ましい。
だからって殺めるところまで行く犯人は被害者というのはどうかと。
戦場で何人も人を殺すことは無罪ではあるけれども、それはやっぱり本来許されることではないわけで・・・。
どんな状況下であってもそういうことはやはり区別しなければならないのではないかと。
・・・まあ、そう思ったんですが・・・あんまり音楽と関係ないです(笑)
どうでもいいんですが、新しいコーナーを現在計画しています。
テクニックに関してですが・・・実践的内容というか。
私もこの世界、必要とされていない気がするんで(汗)その意義を見つけたいんですが(笑)
ダメだったら・・・どうしましょうか?
でも・・・ミルクがいるんで死ねません。
いや、ミルクを道ずれとかって・・・
普通、考えないでしょう。
そこまで精神が壊れているんだったら自分で病院に自ら入院しましょうよ。
やっぱり上記の評論家の言い分っておかしいんじゃないのかなあ?