私の母は現在、リハビリのために老人施設にいます。
この地域にはかなりの数の老人施設が乱立しており、確認しただけで、ざっと10以上の老人ホーム等があるようです。
加えて、その老人施設の端にはしっかりと総合病院があり、そこでは主に高齢者が主体で、看病を行なっているようでした。
しかも・・・その地域の端には・・・なぜか?葬儀場まであり(汗)加えて、その後ろの裏山には火葬場が(汗)。
また、その火葬場の向こうの山肌には数え切れないぐらいの分譲墓地があり・・・。
初めて見たときは「いやあ、すんごいエグい地域だなあ(笑)」と思ったものです。
ここまで読むと「なんて不謹慎な!その老人施設にいる方々に失礼じゃないですか!火葬場なんて書いて!」
・・・と、思われがちですが・・・
あえて反論させていただきます(笑)
実は私の父はここの老人施設に入り、病院にも通い、そして最後にはこの病院で息を引き取り、さらに葬儀場はここで(笑)火葬場、分譲墓地と、すべてここで済ませました。
当事者に言わせてもらえれば、限定された地域だったのでトラブルがなく、スムーズに全ての行いを滞りなく行わせてもらったものです。
しかも、葬儀ともなると、高齢者の方々が遠くからいらっしゃいます。
呼ぶ方に「例の入院していた病院、老人施設のすぐ近くです」と電話で言うだけですみましたし、火葬も納骨も場所など、親戚を道に迷わせずに済んだものです。
確かに営業的にすんごいセット地域ではありますが(笑)。
とかく葬儀場、火葬場、墓地って世間から嫌われるもので、よく建設反対運動ってありますよね。
でも、人間、死ぬことは避けられません。
必ず通らないと、いけないことなので、それに関する儀式も避けられません。
50代になると多分、誰もが自分の”死”と言うものを考え始めます。
なぜなら50近くになると知り合いの葬式とかに呼ばれることが少しずつ増えてくるからです。
加えて、誰それが癌になったとか。
いつまでも生きている・・・とは考えにくくなります。
どうやって死と向き合うのか?
その時の答えは「避けられないことだから、それまでやれることはやっておく」という答えに私はなります。
”死”は恐ろしいもの、不吉なもの、不謹慎、近寄りがたい・・・というより、生誕とか結婚とか、入学とか就職とか・・・そういう延長線上の最後の終着点というか・・・。
だから、反対運動ってどうなんだろう?と思うときはあります。
だって葬儀とかって嫌われているけど「だったらあんた、死ぬこと、避けられんのかよ?」って。
もちろんその最後のセレモニーは最近はかなり地味になりつつありますが。
どんなセレブでもお金で永遠の生命を買うことはできません。
死ぬことが不吉なものなのか?それともそうでもないのか?
それは本人しかわかりません。
加えて、寿命なんて、もう運命でしかない。
しかし、考えてみたんですけけど・・・
どうせ死ぬなら、その前にふんだんに借金して遊びまくって1億円ぐらい借金して死んだほうがええんでないかね?
さすがに地獄まで借金取りは来れないだろうし。
俺だったら・・・
スタインウェイ、ヤマハ、ベヒシュタインフルコンピアノを3台買って、ウィーンに豪邸を買って、毎日オペラを1等席で見て・・・。
あ、そうそう3時のおやつは毎日インペリアルトルテをたらふく食べて・・・もうトルテ飽きたよ、と言えるぐらい。
それでたんまり借金して死にたいなあ(笑)