シリーズ〜私をこの世界に連れ込んだ(?)先生達〜1
早いもので私もこの世界の仕事を始めてかれこれ25年になる。
そういえば昔、ど根性ガエルとかいう番組で、ある教師が「教師生活25年」とかいうセリフを何度も言っていたが、25年もやっていると、色々と昔の頃を思い出しては自分の今の状況と比べることがよくある。
私をこの世界に連れ込んだ(というべきか、誘ってくれたと言うべきか?はわからない)先生達と自分、そして、あの頃の自分と今の生徒達と、比べることは多い。
そんな自分の昔の思い出をシリーズ編で振り返ってみたいと思います。
〜あれは小学3年生だった〜
私は地元の先生に習っていたのだが(その辺りもいずれ書くとは思いますが)ある時、その先生が習っていた先生のところへレッスンに行くという話になった。
なんでも東京まで行くという話だったが、行く前には何度も「どうせあなたなんか、先生に叱られっぱなしになるでしょうから覚悟しといたほうがいいわよwww」と何度も現在の先生に電車の中で笑われながら言われていたこと思いだす。
当時、教室ではなんでも先生のお気に入りの一番弟子も一緒だったが、その子と比べてあなたはねえ•••なんてよく言われたものだ。
もっとも私はその頃はあまりピアノは好きじゃなくて(笑)そんなことより東京に行ったんだったら、以前行った新宿の大丸デパート屋上のお子様ランチ、また食べたいなあ、と思うだけでしかなかった。
レッスンを受けるということもよくわからずに、その先生の家に着いた。
今でいう品川駅の近辺だったから、すんごい一等地なんだろうけど、以外と家の周りは自然があった。
林の中にあった小さい家にはグランドピアノが2台。
家の中はなんていうか•••外国風の飾りでいっぱいだった。
電話が未だにダイヤル式のしかもなんか古い感じの電話機で、面白かったのはトイレと風呂が一緒になっていた。
しかもトイレが洋式である。なんじゃこりゃ!•••である。
それもそのはず•••。
その先生は海外留学が長い人で、その頃はよく単語がわからなかったのだが•••要するにその人は大学教授だったのだ。
トイレが洋式で風呂と一緒だったのは、留学経験からだそうだ。
レッスンが始まると、先発の一番弟子がめちゃくちゃ怒られていたので(しかも弟子の地元の先生もひどく怒られていた)次の俺の時にはどうなっちまうんだ(ー ー;)と焦っていたのだが•••
これがどういうわけか、私の時には気持ち悪いぐらい褒める。
あれはなんだったのか?わからないが、それからしばらくして、•••たしか4年生だったと思う•••その先生のところに私自身が通うことになってしまったのだ。
この世界、先生に気に入られれば、しめたものなのかもしれないが、私もどうやら気に入られたらしい。何が良かったのかはもちろんわからないのだが•••。
それからはもう大変で毎週親父の車に乗って、品川までレッスンである。
これって•••今考えてみるとすごいのか、すごくないのか?
お車で東京まで、おレッスンですよ(ー ー;)
めっちゃ、お坊ちゃんじゃないですか(笑)
奇遇というか、血筋というか?どういうわけか、親父の車も当時スカイラインで「燃費が悪くてしょうがねえ」と何度も言っていたのを思い出す。
毎週東京まで車って•••一体どんだけガソリン代かかってるんだ?
•••っていうより、まあ、後で知ったんですがその時のレッスン代がですねえ•••怖。まあそれは追い追い書くとして•••。
もちろん、今では、例えば私立中学に入るためのお受験、というのはあるんでしょうが•••。
いや私はそういう上流階級の人間じゃないってば•汗。
今で思うのだが、世間から見た目と、私の実態はあまりにもギャップがありすぎて、実生活を見せることはできません。
•••何で俺はこんな世界に今いるんだろうなあ•••。
これは何度も何度も考えることです。
そのルーツは•••こういうところから始まっていたんでしょう。
親は一体何を考えていたんでしょうか?
次回はその辺りも含めて•••。