これは小澤征爾指揮のラプソディーインブルー。
この演奏が良いか悪いかは人それぞれではあります。
好きな部分もあったし、あんまりどうかな?と思う部分もありました。
もちろん、こりゃすごい!というところもたくさんありました。
しかし、良いとか悪いとか、そういう言い方はクラシック特有かもしれません。
いっそのこと、楽しんだ方がいい。
私は楽しかったです。
大事なことは•••ジャズは即興演奏が中心だということです。
クラシックは•••残念ながら、即興じゃありません。
すでに楽譜が決められています。そこがクラシックの面白くないところ、という人は大勢います。
それはそれで事実かもしれません。ジャズほど多種多彩な演奏は聞けないことは事実です。
加えて、その決められた音を完璧に弾けないといけない。
そういうところに我々学習者は呪縛を感じるわけです。
しかし•••。
クラシックは全くの即興が許されていないのは本当か?
実は最近•••クラシックは実はかなり即興性が必要な音楽なんじゃないか、と考えています。
というより、気がつかなかったんです。
いや実は•••やっていたんですよ。即興演奏を自分は。
これはかなり真実を突いた論文とお考えください。
日本人がなぜ、つまらない演奏が多いのか?
今までは日本人はセンスがないんじゃないかって思っていたんですが•••
違います。
多分•••日本人は真面目すぎて即興演奏ができないんですよ。
やっても、バリエーションの少ない、つまらない、真面目な演奏になってしまうんです。
自発的な演奏ができないんです。言われた通りの命令された演奏しか。
ジャスの話じゃないですよ。クラシックなんです。
同じ曲であっても、センス良く弾く人もいれば、全くもってセンスも繊細さもない演奏もある。
しかし、楽譜は同じなんです。
センスのない人はそれを責められても「しかし私は楽譜通りに弾いている」と反論するかもしれません。
そうです。楽譜通りにみんな弾いている。
しかし、楽譜通りに弾けばいい、それ以上は必要ない、という考え方は全くの日本人的奴隷労働者演奏です。
曲をセンスを持って弾くことは、かなり自分の中で、どうやって弾くのか?どういう構想、どういう音色、どういう哲学なのか?
それらがとても必要です。
もちろんそこにはものすごい”センス”が必要になります。
その結果、音色、ルバート、リズム感、ダイナミクスに差が出ます。
つまり、もうそれで即興が生まれているんです。
巨匠の演奏と自分の演奏と、どう違うのか?
しかし、楽譜は同じなんですよ?
一体どこに差があるのか?
ピアノは単純には音量の差しかできません。強いて言えば、多少の音の硬さ、柔らかさ。
あとはスピード程度しか差が出ません。
その少ない材料でどうやって巨匠は感動的な演奏を作るのか?
なんども言いますが、楽譜は同じです。
ここは•••結局、曲をどう捉えるか、という即興演奏が存在していたんです。
今まで私は、その”即興演奏”を、いわゆる”曲の解釈”もしくは”楽譜に書いてあることの背景を考えて忠実に作曲家の考えを再現”
と、考えていたんですが•••。
実は違いました。
なんども言いますが、忠実に楽譜を再現したら•••つまらない演奏であっても”再現”なんです。
この辺り、もう一度整理して、論文として、HPにアップしますが•••
わっかるかなあ•••
わかんねえだろうな。
ところで
やっぱり、本物はすごい。