最後の日

その時、私は父のベッドの枕元にいた。
父は今日はやや調子が良かったようで、顔色も良かった。
しかし、医者からは病院に運び込まれた時に「いつ死亡してもおかしくない状態」と言われていた。
私は父は正直、嫌いな方である(笑)
散々迷惑をかけて、好き勝手にやってきて、家族も呆れた次第。
今までは本当に父とは喧嘩が絶えなかった。
しかも他の兄弟はほとんど実家に戻ってこないが、私は毎日介護に病院の送迎をやっていたので、遠くから見ているだけの人間と違って、色々と嫌な部分も見えてくる。
隣の芝生はなんとやらで、多分どこの親子関係でも、そんなもんだろう。
しかし、さすがに医者から余命宣告をされてからは、あまり言わないようにしていた。
近年の行動はさておき、まあ子供の頃は確かに色々世話になったことは間違いない。
もちろん、納得できなかったことは多々あった。
しかし、そうは言ってもここまでお金をかけて育ててくれたことは間違いない。
今は喧嘩より、感謝をいう時期なのかもしれない。
しかし、今まで喧嘩ばかりで感謝の気持ちなんて言っていなかったことに気がついた。
今このチャンスしかないな。
私は父親とはあまり会話はしない。
これも多分、隣のなんとか、じゃないけど、どこも似たような親子はいるはず。
話をしても気に入らない内容ばかり。
しかし•••今はそういうことは目をつぶろう。
「色々今までさ•••感謝しているよ。たくさん。•••大学行かせてくれたり、ピアノを買ってくれたり。」
おやじは静かに、うん、とうなずくだけだった。
そして•••またお互い黙っていた。
今日は顔色は良さそうだし、呼吸も荒くない。
「また来るよ」
そういうと、いつものように、おやじは昔の田中角栄みたいに寝ているベッドから左手を上げて挨拶をした。

•••翌日、突然病院から電話がかかってきて、「お父様の心臓が止まってAEDをかけています。すぐ来て下さい!」
慌てふためいて、すぐさまスカGv35に乗り込んだ。
頼むよ、スカG。お前の実力を初めて発揮する時だ。頑張ってくれ!
スカGのアクセルを思いっきり踏んで病院へと急いだ。
コーナーで100kmからの減速。フルブレーキングの後左折。
テールが流れる。
しかしさすがにスカG、カウンターを当てると挙動はすぐ収まった。
目の前、遥か彼方、100m先の信号が黄色に変わる。
フルスロットルで1速にシフトダウン。そのまま2速へ。
V35エンジンがレッドゾーン7千回転で唸りながら回っている。スピードは130km。
赤信号を無視して通過。
あともう少し•••。
いつもなら30分かかる病院を15分で駆けつけ、急いで病室に。
しかし•••。
いつもなら空いているはずのドアがなぜか閉まっていた。
開けると•••院長と看護師が立っていた。
心電図は•••止まっていた。
ああ•••間に合わなかった。
そこには、いつもと違う父親がいた。
さすがにこれはショックだった。
死ぬ間際に何かを一生懸命言っていたらしいが、看護師は聞き取れなかったと言っていた。
何を言っていたんだろう•••。
私は実は近い肉親で亡くなった人はほとんどいない。
そういう意味では、今回の経験と、そして、火葬場で骨になってしまった時のショックは隠せない。
遺体だけでもあれば、まだ本人がそこにいるからまだ気がまぎれる。
しかし、その遺体さえも•••消えてしまうのだ。
なくなる•••とは、そういう意味なのだ。
どうせなら、ホルマリン漬けのスターリンや金正日みたいに、残せればよかったのか?

今となっては、最後の日に、感謝の言葉を聞いてもらえただけでもよかったと思うようにしている。
もちろんそれを親父はどう受け取ったかは知らないが。
人の一生ってなんなんだろう?
親父は幸せな老後だったのだろうか?
もっとも今ではすっかり楽になって深い、心地良い眠りについているはずだ。  今は起こさないでおこう。
そう思えば少しは気がまぎれる。
今日は命日から1週間。
少しずつ、気分を取り直し始めている。
もちろん、仕事は仕事。多分生徒にはバレてはいない。