あー羨ましい。こういう風に太れならなあ・・・。
まあでも最近はなんとか食欲も戻りつつあります。
まだ色々と悩ましい問題は残っていまして・・・。
まだピアノを練習できる環境ではありません。
時々、練習をしますが・・・集中はできません。
ただまあ・・・あんまり練習をしていないので、色々と別の面から反省ができます。
時々練習するときに、気がついたのですが・・・
何かが自分の中で変わってしまってですねえ・・・
大きい音で表現しなくなりました。
とにかく、大きい音での表現を避けるようになってしまいました。
今までは、外国人ピアニストの小さい音の演奏に対しての単なる憧れで、そういう演奏を目指していたような気がするんですが・・・
なんていうんですか?ミイラ取りがミイラになってしまったというか・・・。
多分、何かが自分の中で変わってしまったんだと思います。
もしくは、飢餓状態で大きい音が出ないのかもしれませんが(笑)
あんまり大きい音での表現が欲しく無くなってしまったのです。
これがヨーロッパ人の気持ちの表し方なのかもしれません。
だとすると・・・結構ヨーロッパ人はどこかに、諦めとか、悲しみとか、何かに対しての絶望感を持っているのかもしれません。
アジアっていうのはどちらかというと、活気があって、エネルギーがみなぎっている国だと思うんです。
日本もやはり戦後はそういう中で発展したんだと思います。
そういう中で果たして、クラシック音楽を本当に理解できるのか?
いや・・・もちろん、これは私の勝手な思い込みかもしれませんが。
自分の気持ちを表すとき、通常は大きい声て早口で喋るのが普通なのかもしれませんが、・・・ヨーロッパ人はそうではなかったと、昔から思ってはいましたが・・・。
向こうでは全然違う表現なんですよ。まあラテン系の国はわかりませんが(笑)。
人生、いろいろあります。
とにかく、今後はもっと小さい音で音楽を表現していくんじゃないかと。
もちろん、小さいから、何も表現しないというわけではなく・・・
小さいからものすごい表現をしているわけです。
ただ・・・表現の手段が違うというか・・・。
ただまあ・・・こんなに小さい音でホールで聞こえるんかいな?と不安になりますが(笑)。
響の悪いホールだとまずいかもしれません。
教会のようなホールだと、理想的なのですが・・・。
あのような残響音のある中で、小さい音で響かせたいんですよね。
今日はこの曲を聴いて、いずれ弾きたいなと思っています。